どろんこ村ファームステイ第二弾♪

半歩スタッフファミリーで行ってきました、どろんこ村第二弾!
名古屋生活クラブを通していつも安全でおいしいお野菜を届けてくださっている、渥美どろんこ村の小笠原農園さん。
自給自足の農的暮らしを通して、自然の循環や命のつながりを、理屈ではなく心と体で感じることのできるファームステイを、長年受け入れていらっしゃる農園です。

名古屋から車で約2時間。
到着してすぐにみんなで竹を切って器とお箸を作って、流しそうめん!収穫したトマトやキュウリも流して取り合いで大騒ぎ。

田んぼで虫やカエルを追いかけて、池ではいかだにのって、ドボーン!
まさにどろんこ!
そして大きな釜のお風呂に入ってみんなで大はしゃぎ。
晩ごはんはとれたての夏野菜にかぶりつき、花火して、朝には昆虫とりに、沢ガニとり。
採卵したたまごで自分の目玉焼きを焼いて、朝ごはん。

 

夏の渥美半島の大自然を大満喫です。

でも、今回の大きな目的は「大切に育てて、大切にいただく」こと。

 

みんなが前回のどろんこ村から3ヶ月間、それぞれのおうちで大切に育ててきたひよこちゃんたち(もうすっかり鶏になりました)を、お返ししに来たのです。
大切に育てて、鶏さんになったらどろんこ村にお返しして、みんなで捌いて、大切にいただこうね。というのがお約束でした。

それぞれの家でそれぞれ大切に育てられた鶏ちゃんたちは、どろんこ村の広いお庭に一斉に放しても、意外にもそれぞれの個性があって、どの子が、どこのうちの子か、わかるのでした。

この3ヶ月の間、それぞれの家族ごとにいろんな葛藤がありました。
家族の一員となったひよこちゃんたち。
大切に育てたその子を、捌いて、いただくということ。

子どもたちはどう感じるのだろう。
自分たちはどうだろう。

いろいろ考えました。

結果、連れてきた子たち以外の鶏を、解体していただくことに。
3ヶ月育てて家族の一員だった鶏ちゃんを目の前で捌くことは、子どもたちに酷だと判断してのことでした。もちろん私たち大人にとっても・・・。

そして、連れ帰ったひよこちゃんたちと同じ日に生まれて、どろんこ村で育った鶏さんを、解体していただくことに決定。
それでもどろんこ村に来る直前になって、解体すること自体に身構えてしまっていた親の私たち。
そんな私たちに、どろんこ村の小笠原さんがおっしゃった言葉。
「わたしたちの日常の一部を見てもらうだけだよ。」
ハッとしました。

小笠原さんは子どもたちにも、「みんなの鶏さんを鶏舎に帰したら、きょうの晩ごはんになってくれるこっちの鶏さんを連れて行くよ。」と、丁寧に、でもあくまでも自然体な声かけをしてくれ、子どもたちも自然に生活の一部のように解体の時間を迎えました。

子どもたちの反応は、それぞれ。
わー!かわいそう。やだ!の声も出たけれど、目をそらしたり親の陰に隠れたりする子もいたけれど、意外にもみんな泣いたり逃げ出したりすることなく、自然に受け止めたようです。
大事な「今日の晩ごはん」であること、みんなが普段食べているお肉も「誰かがこうやって捌いている命」であることを、小笠原さんが力強い声でさらりと伝えながら作業してくださったからだろうな、と感じました。

そうして、鶏舎にお返しした私たちの育てた鶏も、いつかは、同じようにお肉になって誰かが大切に食べるのだということも、子どもたちは理解していました。

小笠原さんもおっしゃっていたのは、「小さい子どものほうが自然に近いからすんなり受け入れる」ということ。大学生や大人の研修の時とはまた全然違うそう。
たしかに大人は、考えすぎちゃうし、自分がどう見られるか人目も気にしちゃう。ピュアじゃないんだなあ…。

その後小笠原さんは、丁寧に内臓もすべて説明しながら解体してくれて、砂肝の中にある袋に鶏が食べた石がたくさん入っていてそれで食べものを消化していること、腸の長さ、心臓の小ささ…いろいろ、子どもたちは真剣に聞いてました。
お肉を切り分ける頃には、ササミ好き!とか、手羽先って1羽から2本しかとれないんだ〜!とか、さまざまな声があがりました。

そして、晩ごはんに塩だけで焼いた胸肉をみんなでいただいたのです。
とっても、とっても、美味しかった。

今回の体験を通して、子どもたちはそれぞれに感じたことがあると思います。
それはこの先の人生で、命について考える時に思い出すのか、食べ物をいただく時に思い出すのか、その子によって違うのかもしれないけれど。

野菜でもお米でもお肉でも「他者の命」。
私たちは皆、その他者の命によって生かされているということが、子どもたちに実感として伝わったのではないかな。

さて、始まったばかりの夏休み!
どろんこ村からすばらしいスタートを切った半歩キッズの成長を、しっかり見守りたいと思います♪